皆さんこんにちは、こんばんは、初めまして。 サンケン6と申します。
何の脈絡もございませんが、何を隠そうわたくし、3年間勤めていた仕事を昨年の5月末をもって退職しております。
『そんなので生きていけているのか?』
『そんなにお金の余裕があるのか?』
はい・・・ 至極当然の質問でございますが、その答えは完全に“NO”、全く都合の良いことなどございません。
では、そんな男がこれからどう生きながらえていくのか、はたまたついえてゆくのか、もろもろを綴ってゆこうというのが本ブログの趣旨となっております。
さて、そこで今回の記事ですが
初回ですので、そもそもわたくしがなぜ現在のような状態にあるのか、仕事を辞めた理由や最近の活動について書いてゆきたいと思います。
※ ちなみに、アイキャッチ画像を昨日の夕飯にしているのは、食事を見ればその人間が現在どんな生活レベルにあるのか分かりやすいと思ったためでございます。
決して飯テロだとか、そのような目論見は一切ございませんのであしからず。
先の見通しなんて全くない それでも仕事を辞めたワケ
辞めた? いいえ、逃げたんです
仕事を辞めた当時はと言えば、特段わたくしには貯金があったわけでもなければ、他に生活資金を稼げる当てがあったわけでもございません。
でも辞めたんですね。それも故郷の両親にも隠して・・・
身もふたもなく言えば逃げたんですよ、仕事ができなかったから。
甲斐性もなく、体裁も考えず、無謀にもその場その時だけ、自分が楽になることを最優先したんです。
いかがでしょうか?
ここまでぶっちゃけた話をすれば、すでにお分かりの方もいらっしゃるかもしれません。
その通りでございます、当時のわたくしは職場で底辺中のド底辺、本当にどうしようもないくらい仕事ができないクズでした。
まぁ、そうなる前に状況を打開しようと行動しなかったかと問われれば、そういうわけでもないんですけどね。
『なにか努力したか』と言われれば・・・・
クズはクズなりにマジメではあったので、仕事ができない自分を『なんとかしよう』と思って頑張っていた時期がわたくしにもございました。
その頃はたとえつらくとも、仕事を辞めるだなんて選択肢はまだ無かったんです。
とは言え、わたくしが実践した方法はかなりの力ずく。
『他人より仕事の進みが遅いなら、その分だけ多くデスクに向かって何とか喰らい付いていくしかない。』
『他人より覚えが悪くとも、量をこなして慣れていけば業務にかかる時間の差も埋まってくるだろう。』
そう考えて働いていたんです。
つまり根本的に要領が悪かったんですね、わたくしは。
とまぁ、そんな風でしたので、毎日の仕事で日をまたぐのはあたりまえ。
守衛さんを除いては、全職員の中で一番最後まで職場にいることもしばしば。
平日は4時間と少しの睡眠時間でまわし、土日も毎週のように休日出勤。
・・・はい、 こうして文字に書き出してみると、我ながらアッタマ悪いやり方してますよねぇ。
加えて、当時わたくしがより一層盲目になっていた要因として、元来わたくし自身が持つ非常に焦りやすい性格が悪さをしておりました。
焦るほど余裕がなくなって、思考が短絡的になるという嫌ぁ~なおまけを含めて。
結果として、こんなふうに夜中にサングラスをかけてカラスを探して回るような、闇雲な方法で事態が改善に向かうはずもなく。
むしろ
《 自身の要領の悪さゆえに仕事がたまる 》
↓
《 仕事に追われると焦って思考がまとまらなくなる 》
↓
《 短絡的になって長時間労働・休日出勤》
↓
《 疲弊して余計に頭の回転が鈍くなる 》
といった感じで、完全に負のスパイラルにおちいっていました。
つらさが積もりつもって 突然に辞職を思い至る
改善の兆しが見えないまま日ごとにつらさが増していき、いよいよ勤続3年目。
ただつらいとはいえ、まだ『頑張り続けていれば良い方に向かうはず』と思っていたのもまた事実。
なにより、本来であればわたくしは仕事を辞めるわけにはいかなかったんです。
その理由としては、単純に生活の糧が失われる金銭的な問題もありましたが、それよりも頭にあったのは故郷の両親のことでした。
わたくしは過去に精神疾患を患っていたために同年齢の人よりも学歴に3年間のブランクがあり、就学や就職活動の際に苦虫のフルコースを味わわされた経験があります。
そのために、闘病期から就活期に至るまで両親にはに大きな心配をかけてきており、これ以上の心配をかけたくなかったんです。
ですが日増しに状況は悪くなるばかり。
昼休みには毎日のように、後輩が食堂でわたくしの無能っぷりを広めるようになりました。
本人は隣に座っている同期に話しているだけのつもりだと思うんですけど、(本当にそう願いたいんですけど)その声が食堂中に響くほどデカいのなんのって。
意識的に後輩から一番遠い席に座るようにしていたわたくしのところまで、それはもう、はっきりと聞こえてくるものですから、食事中ずっと針のむしろでぐるぐる巻きにされているような気分でしたよ。
まぁ食堂を利用する職員は一部でしたから、職場中に広まるわけではないと分かってはいたんですけど、それでもだんだんと職場での居場所が無くなっていく気がして・・・
そんなですので、いつも速攻で食べ終えてそそくさと食堂を出ます。
そして残りの昼休み時間の許す限りはできるだけ心身を休めたいので、比較的に利用者が少ないトイレの個室に引きこもってうなだれる日々。
特に退職を意識し始める直前の頃はだいぶまいっており、
『もし今大地震でも起きたら、文字通りこの職場でつぶれて死ぬのか。』
なんて、昼休みが終わるまでトイレの中で考え続けていました。
一方で夜は相変わらず退勤が遅く、機嫌の悪い守衛さんに昇降口で『何時だと思ってんだ!』と怒鳴られる毎日。
発狂しそうになるのを押し込めるためにコンクリートの壁を何度も殴るようになり、右手の甲の骨はいまだに肥大化したまま。
つらかったんです。 つらかったんですよほんとに。
恐らくこのままいけばきっと自分は親の棺桶の前で、『こんなろくでなしに育ってしまってごめんなさい』とひたすら謝ることになるだろうなと思っていたんです。
なので、そのころはなんとかそれでも頑張って、『あなたが生んで育ててくれたおかげで、自分は今幸せに生きています。ありがとう。』くらい棺桶の前で言えるようにならなければと奮い立たせていたんですよね。
でも、ちょっと待ってください。 これってなんか変じゃありませんか?
そういう感謝の言葉って、本来なら相手が生きている間に面と向かって言うべきことだと思うんです。
でも、当時のわたくしは自分の思考に少しの疑問すら持っていなかったんですよ。
つまり、既に物言わぬ親と棺桶越しに対面することが前提の考え方にとらわれてしまっていたんです。
『あっ・・・・・ これやばい』
突然思ったのがコレです。
いわゆる「何かがプツりと切れてしまったような感覚」ってやつですね。
マンガや小説でよく目にする場面でしたが、まさか身を持って体験することになるとは。
ただ何がきっかけで思い至ったのかは、いまだに自分でもよく分かっていません。
『やばい』
ともあれそう気づいたときに、仕事を辞めることを意識し始めたんです。
まぁ、その後もいろいろと葛藤はするんですが、結局は仕事を辞め現在の生活に至ります。
現在を生きる
そんなこんなで、やっとこさ今を生きているのがわたくしです。
種別は人間、性は男。
年齢はとうに30を超え、生え際の後退が気になる今日この頃。
髭を剃るときに眼鏡をはずした視界の端、0.1以下の視力でかすんだ鏡の向こうにちらと映るのは父親の面影。
聞くところによれば、これぐらいの年齢からは著しく社会復帰が絶望的になっていくとか。
わたくしもこのまま生活の糧を得られなければ、のたれ死ぬのみ、明日のこの身。
ですが、もちろん死んでやる気はありません。
だって悔しいじゃないですか。
こんなわたくしが いま何をしているか
日々の活動
さて、生きるためにはお金が必要。
貯金を切り崩しながらの生活のため、日々の節約は欠かせません。
最近は、最安価な動物性たんぱく源である鶏むね肉の火の通し加減ばかりが上手くなっております。
肝心の仕事の方はと言えば、クラウドソーシング経由でライティングやデータ入力をしておりますが、やはり時給に換算すると稼ぎはほとんどありませんね。
そもそもクラウドソーシングでの仕事を始めたのは、前職を辞めてしばらくの間は再び外で働くことに恐怖心が残っていたためなのですが、最近は『アルバイトからでも、もう一度始められたらいいな』くらいには思えるようになってきています。
いま思うこと
こんなわたくしでもなんとか生きていれば、世の中のどこぞの誰か様を勇気づけられるやもと浅はかにも考えたのが、本ブログを執筆したきっかけです。
いわゆる反面教師というやつですね。
もしそうあらずとも、ネットのおもちゃにでもされて誰かが笑うならば、わたくしにとっては大団円でございます。
実際のところ、わたくし自身この先どう転ぶか戦々恐々としておりますが、この腕の動く限りは、おっさんの日々を綴っていこうと思います。